旅日記

若き日の旅の思い出

那須に住む番外編

カナダいろいろ

カナダいろいろ

 カナダは最初に訪れた外国で、半年づつの長期出張2回と長く滞在したところである。自然に恵まれ、民度も高く、大好きな国である。そんなことから、新婚旅行の時には妻を連れて行った。またその後も1週間ほどの短い出張を何度か重ねた。

 入社5年後、1980年のカナダ出張のことである。出張の間に休日が挟まった。早朝、同行の上司と離れ、独りでバンクーバーのホテルから近くの公園に散歩に出た。そこですれ違った初老の男性から突然「ソリー・フォー・ミスターオオヒラ」と声がかかった。昨日、現地のテレビのニュースでも「大平首相の急死」が大きく取り上げられていた。公園で出会った東洋人を日本人だと感じ、先ほどの哀悼の挨拶になったのだと思う。「ありがとう」と応じて頭を下げた。

 日中は、時間に余裕があるので、バンクーバー市内の観光バスに乗ることにした。 実はこの日の行動には前書きがある。
 かつて当時の上司の出張のかばん持ちで、米国内を北のアラスカから南のメキシコ国境まで、東のニューヨークから、中西部の炭田地帯をつぶさに視察し、サンフランシスコ、ロスアンジェルスまで、3週間ほど出張した。そのとき、ロスアンジェルスで休日が入り、単独行動が許された身であったので、ディズニーランドに行こうとした。ホテルから、バスの出ている建物に行ってみたら、本日はストライキ中でバスは運行していないの表示。諦めて、歩いてホテルに戻り、その辺を散策して時間を潰した。夕方、予約のあった近くのレストランで食事。今回一緒に行動している日本の商社の人と昼間、名門ゴルフコースを満喫してきた上司は。「今日、何をしていた?」と問う。正直に先ほどのバス会社のストライキのトラブルで当初のディズニーランドに行けなかった。と答えると。我が上司から、他社の人間も傍にいるにも拘わらす、叱責を受けた。「若い人間を連れ出して教育しようとしているのに、こんな場合の対応も出来ないのか。タクシーで行けば良いじゃないか。」と。
その後は深く反省して、極力、拙い語学力をものともせず、海外の場では、積極的に外に出かけることを心がけた。


 
 さて、話は戻る。午前中、バンクーバーのダウンタウンにあるバスターミルで、巡回バスのチケットを求める。ロンドンと同じ赤い外装の2階建てバスである。もっとも受付のスタッフに文字通りの自己流の翻訳で「ツーストリート・カー」と聞いたら、「ダブルデッカー」と言いなおされ、苦笑した。バスに乗ると、録音された説明が車内に流れる。どうにか聞き取れたのをつなげると、市内の主な観光名所を順繰り回る。またこの観光用の2階建てバスは、30分毎に巡回しているので、各スポット、降りたら、ゆっくり見てください。30分後には次のバスがくるので、パス・チケットを見せれば、乗り降り自由ということらしい。

 昼近くなって、大きな植物園に着いた。ここには売店があるだけでなく、食事も摂れるらしい。一通り観葉植物を見た後、こじんまりとしたフードコートで、軽食をカウンターで受け取り、近くのテーブルへ。生憎、どの席にも先客がいる。大きなテーブルで片側に隣り合わせに座っている老夫婦の前に、「よろしいですか」と断って着席した。しばらくすると、前に座る老婦人が、食事をしながら、皺でもみくちゃになった口で、話し始めた。「どこから来たの?」、「こっちは長いの?」。ゆっくりとした口調だが、矢継ぎ早に質問が出る。」「東京からビジネスで来て、今日は休日だから、市内の観光巡りに来たのです。」から始まって、とりとめのない会話を交わす。時折、隣の口数の少ないおじいさんと相槌をしながら、3人でゆっくり食事を進めていた。
 その時である、東洋人と思しき若い女性が、走ってやってきた。「あの.日本の方ですよね?」、はっきりとした日本語である。「はい。」「同じバスに乗っていましたよね?」 確かに、バスに乗り込む時、後方にいたのを知っていた。しかし、服装も目立ち、化粧もいわば「けばい」。同じ東洋人でも、失礼ながら韓国人かなと思っていた。「今、乗ってきたバスが出て行ってしまったのですが、どうしましょう」と言う。こちらがバスの車内案内放送の話をすると、ホッとしたような顔つきになり、自分もカウンターから食事のプレートを持って戻り、隣の椅子で静かに食べ始めた。こちらは引き続いて、前の老夫婦と言葉を交わしながら食事を続けた。そのうち、老夫婦は食事を終えて、テーブルを離れた。

 その後、臨席の若い日本人女性に質問をする。聞けば、驚くべきことに、日本の当時2番目の規模の航空会社(現在は国策航空会社ナショナルフラッグの破綻を経て、名実共に日本一の航空会社)の現役のスチュワーデス(今の呼び方はキャビン・アテンダント)だと言う。興味が沸き、そのままその場で、お茶を誘い、1時間後のバスに乗るまで、質問を浴びせてしまった。答えを要約すれば、日本国内線のスチュワーデスで、今回社内の同僚とグループでカナダ旅行に出かけて来た。自分の航空会社は北米内部に路線を持たないので、シアトルまで来て、提携する米国の航空会社の便で、バンクーバーまで来たこと。同僚達とは勤務時間が合わないので、先発で来て、ここバンクーバーで合流するとのこと。一番聞きたかった質問「スチュワーデスだろう。英語が聞き取れないの。」の答えは「国内線の乗務では外国のお客に対し、決まりきった問答だけのトレーニングがあるだけで、それ以外はわからない。」とのこと。私の苦労話をすれば、これまで、聞き取れないときは「すみません、もう一度」の連発。なんと言えば分からないので「えーっと!えーっと!」ばかり。今、思い返すと、まだそういう時代だった。
 その頃、私の会社が手配する航空会社は安全・信頼性を重視して「鶴丸」が当たり前の時代。しかし、その後時代を経て、海外出張を自分で設定する時には、既に国際便を運営できる、このカナダ事件当時の2番目の航空会社つまり「ANA」を好んで利用した。

 さて、当日は、今回仕事を依頼された日本の商社のバンクーバー駐在員のご家庭に、夕食に招かれた。美味しい食事を堪能した後、若い身としては、まだ物足りない。自室に戻る上司とは別れ、ホテルのバーラウンジへ。 このホテルの、バーは重厚な木のカウンターと、ボトル棚ではなく、照明も明るく、広いホールになっている。当時のディスコも容易に楽しめるスペースだった。部屋から、文庫本を持ち出し、端の方のソファで、ウイスキーのロックをちびりちびりと、ページに目を通す。ホールの中央には、賑やかに踊ったり、おしゃべりしている10名ほどの若い集団。男女半々、明らかに全員が東洋人である。
 しばらくすると、グループの中から、若い女性が私の席の前に立ち「良かったら、こちらに来て一緒に愉しみません(ジョイン アス)」という。この女性、少し頬がピンクに染まってはいるが、ややハニカミながらの言動。有難く、お誘いを受けることにした。
 グループの中に入ってみると、「新参者」関係なく、会話に打ち興じている。会話は中国語である。バンクーバーはもともと、世界3大チャイナタウンの一つとされる。中国人コミュニティは大きい。しかし途中参加したこちらは「誘ってありがとう」と英語でいうと。中の男性は「楽しんでくれ」と英語で返し、屈託がない。その後も彼ら、彼女らは、賑やかにおしゃべり、ディスコに打ち興じている。
 30分ほどして、部屋に戻ったが、こういう交流が、当たり前に出来るということを考えると、現在、日本のインバウンド観光といっても、まだまだ、到達目標は高い気がする。          

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