旅日記

若き日の旅の思い出

那須に住む番外編

8. エジプトの遺跡

8. エジプトの遺跡

 世界の七不思議のギザのピラミッドを初めとして、大掛りな古代遺跡がエジプトには何と多いことか。遠くから眺めると稜線のシャープな正四角錐のピラミッドも、近くに寄ると巨大な長方体の石灰岩をうまく組み合せて積んであるからゴツゴツしている。もっとも完成時には表面が雪華石膏の化粧板で覆われて、光に輝いていたらしいが、現在は大部分が剥がされている。カフラ王のピラミッドの頂上付近のトンガリ部分が僅かに往時をしのばせるだけである。サッカーラの階段ピラミッドともなると、古くなってその建築様式もぐっと原始的になり、表面も段のまま放置されている。これら巨大な石材という重量物を運搬して積み上げるという技術もさることながら、幾何学的に仕上げる為に高度な数学の発達があった。それが四・五千年前のことというのだから驚く。いくら大阪城の石垣が巨大で、その石もはるばる四国から運ばれ、隣合う石の擦り合せが見事だといってもたかだか四百年前の話である。

砂埃に霞むピラミッドの前で

 エジプトの古代文化のすごさは芸術の面にもある。大小とりまぜた石の塑像、色彩鮮やかな壁画と枚挙に暇がない。さらには象形文字(キエログラフ)を発明して史実、文学を後世に残す。その頃の日本はといえば、泥をこねて器を作り、シジミを食べて暮らしていたのである。その彼我の差、比べるほど驚嘆する。
 日本から遅れて配達される新聞の「平城京跡から本邦最古の木簡片発見。」などという記事をエジプトで読むと考え込んでしまう。掲載された写真をみると腐ってボロボロになった木の表面に不鮮明な墨蹟が見えるだけ。たった千年ばかり前のものが、どうしてそれ程保存がわるいのだろうか。石に比べて木が腐りやすいことは認める。しかしながら日本の石造遺跡も多かれ少なかれ傷んでいる。石碑の碑文だって古くなれば時代相応に字が読取り難くなってくる。ところがこのエジプトでは数千年前の石像の胸の文様が今も鮮明である。石碑の碑文だってほとんどかすれていない。ある時カイロ中央駅に立つラムセスⅡ世像が実物かレプリカ(実物大模型)か仲間で議論になった。「常識」をもって「古くさいから古い。」と断定することができないのである。何故だろうか。素材の違いだろうか。確かにエジプトの遺物は花崗岩など緻密な深成岩がほとんどだ。それに比べて日本では砂岩が一般的であるし、場合によっては脆い凝灰岩も加工しやすいところから多用されている。しかしながら日本では花崗岩だって随分表面が摩滅している。素材でないとすればやはり気候の差なのだろうか。砂漠気候は気温の日較差が大きい。一般には温度による物体の膨張・収縮の連続が物体の機械的破壊を促すといわれているが、エジプトではあまり影響がないようである。それなら何かといえば雨水の影響に思いあたる。強い砂ほこりも石を削るほどではない。やはり雨にさらされることが大きいようである。「雨だれが石をうがつ」のであろう。
 「君が代」の歌詞では「苔むす」という比喩で長い時代を象徴している。我々の常識では古色蒼然の代名詞が「苔むす」であるらしい。そういえばエジプトの遺跡には、雨が降らないせいか苔むしたものがない。だから古くさくないのである。実は僕はエジプトの遺物をあまり好きになれない。あまりにも「生々し過ぎる」からである。いつまでも若々しい年寄りも気色が悪い。遺跡だってそうである。年相応に枯れて欲しい。カイロ市内の観光を一通り終わって、次はアスワン・ルクソールというのが順序であるが、なかなかその気になれないのにはそんな所に理由がある。僕はそれほど古くなくてもいいから杉木立の中の苔むした石段の方が好きだ

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