旅日記

若き日の旅の思い出

那須に住む番外編

6. 星あかりの道

6. 星あかりの道

 砂漠はさぞ星がきれいだろうと思っていた。実際、前回のエジプト出張のときは星座の写真を撮ろうと思って、はるばる日本からポータブル赤道儀(星の日周運動に合わせて回転する特殊な三脚)を持ってきた。 初めての現場勤務のとき、早速仕事の合間をみて「星見」にでかけた。幸いその日は月がなかった。砂漠の空はほとんど雲がかからない。だから月さえ無ければ満天の星を楽しむことができる。ジープに撮影機材と双眼鏡を積んで砂漠の道を山に向かってとばした。  都会に比べればもとより光害のない砂漠の真只中であるから、トレーラー・ハウスの直ぐ外で眺めれば良いようであるが、実際はそういかない。昼夜の区別なく作業を続けている石油掘削リグのまわりは、たくさんの水銀灯に照らし出されてまるで昼間と変わらない。平坦な砂漠の道は途中にさえぎるものがないから、いくら先に行っても振返れば「頼もしい我らが」掘削櫓がこうこうと光を放っている。生憎なことに、ふだんは目を楽しませてくれる海岸ぞいのラスガリブの町の夜景も、どこまで逃げても後を追いかけてくる。さらには遠く石油生産施設の分離ガス燃焼装置のオレンジの炎が夜空を焦がしている。闇夜に黒い煙さえも見える。

夜空を焦がす石油生産基地のフレア

砂漠の中の一本道をひたすら走る。単調な風景の中をヘッドライトだけを頼りに走るので距離感がない。しばらく走って、距離計が数十kmを示す頃、あたりに岩肌が露出して地面にも僅かだが起伏がでてくる。さらに奥まで入ると小山が見えてきて道路はその間を縫うように折れ曲がる。小山の高まりが後ろのあかりをさえぎった所で車を止める。あたりは不気味なほど静まりかえっている。  闇に目が慣れた頃、空を見上げると、西の空のすぐ前に明るい星が「ある。」宵の明星である。金星は太陽から最も離れて、日が暮れた今もまだ西の高い空にある。その輝く星が手の届く所にある。まばたきもしない。まるで小さな電灯のようだ。金星のまわりの星たちも黙って輝いている。すぐ真上の丸い天井にはりついているような気がする。  その昔、地中海を隔てた隣のギリシャで、伝説の神々を空の星々と結びつけて「星座」が編まれた。電気のないその頃、一日のほぼ半分の夜には、好むと好まざるとにかかわらず、「すぐそこ」に星があった。人々はその星を毎日見上げ、星の動きによって時の経過を知った。いつしか四季が移り変わった。その心情が今、身近に感じられる。羊飼いは羊の群れの脇で横になって、眠りにつく暫しの間、ずっと星空を見上げていたのかもしれない。  西の山々の山影と星空がくっきりと分かれている。山々に続く砂漠の一本道もぼんやりと浮び上っている。これなら明りの道案内なしにどこまでも歩いて行けそうだ。昔の旅人は杖を突きこの様な道を「星あかり」を頼りにずうっと歩いたのかもしれない。

ガリブ山上のカノープスの軌跡

 赤道儀を北極星に向けてセットし、カメラを載せる。目的の星座に向けて静かにレリーズを切る。露光している間、もう一度空を見上げるが双眼鏡はいらない。肉眼の方がもっと空の美しさを楽しむことができそうだ。ジェット気流の強い日本と違って、ここでは恒星もほとんど瞬かない。どの星もポツンとそこにある。ただ空は想像していたほど澄んでいない。塵のせいである。風によって舞い上げられた砂漠の砂ぼこりが、雨の降らないせいでいつまでも空中に漂っている。星を見ている分にはそれほど気にならないが、夜空を焦がす炎の回りには大きく照り返しの光の輪ができる。  撮ったフィルムを日本に帰って現像して、いささかがっかりした。腕も悪かったのかもしれないが、どの写真も背景の抜けが悪い。どうも小さな塵を写しこんだようだ。そのせいもあり、今度の出張には重い機材は同伴しなかった。

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