電話による商品投資勧誘

 突然、自宅の固定電話にかかってきた。「○○様ですか、××様ですか、△△様とお呼びするのですか。」と聞いてくる。いろいろ読み方がある我が苗字。中で正解に当たったので、「逆にこの電話番号どこで入手したの?」と聞いてみたら、「□□高校の◎◎年卒業生名簿を見て掛けています。」と、正直な答え。普通は「どこで知った?」と聞くと、その時点で「ガチャン」。中年とおぼしき女性での電話口の対応が常識的であり、つい「ところで、ご用件は?」とつないでしまった。
 「石油投資取引のご案内です。」というので、昼食後ののんびりした時間で、時間もあったので、しばらく付き合ってしまった。
 「今後、産油国の生産調整、シェールガス生産の見込みを考えると、原油価格がこの後上昇すると思われるので、原油先物に投資しませんか。」というのが先方の目的。

 実は、このサイトの「若き日の旅日記」にも書いたように、かつて原油、天然ガスを探す技術者として働いていた。原油価格が大きく変動し身近な「ガソリン価格」に反映されるのは今でもガソリンスタンドの値段変動で良くわかる。小生は昔在勤した石油開発会社の同窓会に出席する機会があるが、その時の社長の挨拶は「現在、原油価格が##ドルであり、昨年度の決算はこうであったが、今後、こういう推移を見込む。」また、その会社から送られてくる年報には、原油価格と会社収益の推移がグラフ化かれている。最近、一時100ドル/バレルを超える水準まで急騰した原油価格が50ドル台と半減した。その分、原油価格連動で天然ガスを販売している会社は自動的に収入が半減する。さぞや決算内容は厳しいだろうと想像している。

 思い起こせが、昭和48年オイルショックにより原油価格が3ドルから12ドルへと4倍になった。日本でもその影響で、トイレットペーパー購入の混乱がニュースとなった。
 (小生の立場からすると、このオイルショックがあった故、石油代替エネルギーを扱う石炭会社が息を吹き返し、その求人に応じて採用され、新卒2年目にはカナダの石炭調査のフィールドに行くことができた。)

原油(オイル)価格はしばらく低迷し、銀行に転職して「プロジェクトファイナンス」で海外の油田への融資審査をしていた、日本のバブル時代も 1バーレル18ドルで動かなかった。

その後、2004年から2008年にかけて、「第3次オイルショック」により原油価格が100ドル以上に高騰した。この理由は内需もあるが、いつものように投機思惑が大きいといわれている。

最初に戻るが、そもそも小生は投資(投機)の気持ちは無い。しかも、自分で関与したことのある「原油」を材料に電話による投資勧誘には応じられない。

 

獣医師

今まさに、大きな論議となっている「獣医学部新設」問題。
ここでは、決して政治的な意味からコメントする訳ではない。
かなり私的な話であるが、2年ほど前、獣医師である弟が病没した。
ペットショップに生まれ、獣医師を志した身近な獣医師を個人的に振り返りたい。
競走馬生産のメッカ、北海道日高で40年近く、牧場を巡回してまわる獣医師として働いた。
映画「優駿」で三木のり平が演じる獣医師の演技指導をし、ハイセイコーの主治医として、その死を看取ったことが地元の新聞に報じられたこともある。
また、獣医師をとりあげるコミックに紹介されたことがある。



 

手相

メールにフェイスブックの更新情報が定期的に入る。
いつもはタイトルを見ているだけだが、今回「手相家」という人の更新タイトルがある。興味があってクリックし、内容をみてしまった。
「手相から観えるあなたのこと」というタイトルの白河市在住の方のFB投稿である。

実は若い頃、手相なるものにその「真偽!」に関心があり?当時の評判だった「五味康祐」氏のカッパブックス「五味手相教室」を熟読した。その後、ポケットコンピューターを買った時、プログラムにデジタイザー機能を利用した「手相判断」があったので、試してみたこともある。

さて、小生は、38歳の時に、技術者として勤めていた会社から場違いな銀行に転職した。不安があった。どうにか落ち着いた頃、職場の飲み会の帰り、自宅最寄の駅前の小さな机一つに行灯をつけた「手相占い」の前に座った。決して冷やかしでなく、これからどうなるかとの迷いもあった時のことである。

占いの人は、普段着に近い服装のほぼ同じ年代の女性であった。
座って、掌を差し出し、「少し前に、転職したのですが、これからどうでしょうか?」と切り出した。

答えは、手のひらを一瞥もせず、「顔色が良いし元気そうだし、大丈夫じゃないですか。」の一言。

いかがわしいどころか、きっぱりとしたその一言に、なるほど、手相見は体全体を観察しているのかと半ば感心し、見料、3000円を自発的に払い、ブースを離れた。

その後、30年近く、紆余曲折があったが、無事故郷で年金生活を送っている。

そもそも、将来を占うといっても、実際は、本人の考え方が大きく、本当は悩みのある人へ その悩みに応じて、適切なアドバイスをするのが「占い」の基本なのかと今は思う。

カッコウ

窓の外からカッコウ(郭公)の鳴声が聞こえる。
かつて、日本野鳥の会のサイトに登録していた頃は、毎年、「初鳴」の情報提供の依頼がその時期になると来ていた。
この地域では、いつも、ほぼ、ゴールデンウィーク明け後の、5月8日~10日だった。
その後、お盆の8月中旬頃まで、「カッコウ、カッコウ...」の声が続くことになる。
朝は早朝でなく、ほぼ6時頃から鳴くようだ。

ものの本には、東南アジアから繁殖のため渡って来て、オスが求愛または縄張り宣言のため鳴くのだと書かれている。
モズなどの巣に卵を生む「託卵」の習性が有名だが、どのようにして、ここ那須野が原までのルートを引継いでいるのだろうか。海の鮭のように、生まれた場所に戻る帰巣本能があるのだろうか。

故郷にUターンした生活

 今、全国で人口減少化対策として、市町村など行政の「定住促進」のメニューがあちこちにある。
この那須地域については、比較的首都圏から近いこともあり、ネットを見ると、実現した家族、現在真剣に検討している人の書き込みが見られる。

 小生はそれらの方々の「Iターン」と違って、地縁、土地勘のある「Uターン」である。
あまり、Iターンの方には参考にならないと思うが、我が移住のことを記してみたい。

 Uターン時に建てた自宅の築年齢が24年になった。一緒に購入したエステマ・ルシーダも24年目である。18歳で高校卒業後、進学のため故郷を離れ、こちらに戻ってきたのは42歳の時である。
 当時勤務していた金融機関の配慮で、東京までの新幹線通勤定期券の費用の自己負担分が毎月3万円程度で済んだ。これなら、長男の立場として、両親と同じ敷地に家を建て、子育ては田舎のゆったりした環境で出来るだろうと決断した。

 転居後、のんびりした自然を満喫してきた。例えば、スキーについては、いわば裏山ともいえる近くの「ハンターマウンテン塩原」に子どもたちを連れて頻繁に通って楽しんだ。つれあいはまだ小さかった下の子どもと「那須野が原公園」で遊ぶことが多かったという。
 同じような感想を、現在、中目黒の賃貸マンションに暮らす息子家族の嫁が帰省した折「いい所ですよね」と心から漏らすが、その後「でも、のんびりに飽きちゃうかも。」

 こんな所が、先輩移住者としてのアドバイスなのかもしれない。

 因みに、我が家はJR西那須野駅とスタバ西那須野店の中間にあり、どちらも500mほどの距離である。
東北高速道の「西那須野塩原IC」までは5分余り。新幹線「那須塩原駅」、「那須ガーデンアウトレット」、4dxもある9スクリーンのシネコン「那須塩原フォーラム」は車で15分~20分の距離にある。一応「大学病院」という総合病院も近くにあり、個人的にかかりつけにしている。

 都会に住む方々が想像する、那須ロイヤルリゾートという那須高原の自然の豊かさほどないが、かつて、街中の我が家のベランダに、オオタカがやってきたことがある。そんなこともおきる田舎の生活ではある。

半跏思惟像

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今夕、お付き合いのある農家の方々の集まりに参加した。会場は農村レストランの一室であり、畳の上の座布団に座ることになる。
 我が身をいえば、子どもの時から、先天的に身体が固い。今も、どうにか正座しても、長続きはしない。初めから、座布団を二つ折りにしてお尻に敷き、「あぐら」をかくことにしている。しかしそれでも、両膝が水平にならず、いわゆる、子どもたちの「体育館座り」に近い姿勢で他の方々に対して、失礼極まりないと冷や汗がにじむ。もし、小さな座椅子でもあれば、有名な「中宮寺半跏思惟像 」のようにできるのかなとも思うが、実際はそれもかなりハードである。
  その昔、中学生の体育の時間、マット運動の一つで「開脚前転」をすることになった。我が身はいくら頑張っても、90度以上には開かない。しばらく観察していた先生から「お前はもうしなくてもいい。」とのご託宣があった。
 さて最近、開脚ストレッチが話題になっている。固い身体でも、柔軟体操次第で柔らかくなるそうである。ビデオも見た。あの様には、たとえ10年かけても無理とは思うが、このl先、最低、「あぐら」をかける。できたら座禅の足の組み方までたどりつけたらと思う。
 ちなみに、長男は、顔、体つき、性格も父親に似ていない。唯一、身体が固くて、「あぐら」もかけないことが、父親の遺伝である(苦笑)。

スタバの盛況に思う

「西那須っていいね!」

 昨日、オープンした スターバックス西那須野店。閉店時刻の23:00以降も、多くの来店客で賑わったようだ。ツイッターの書き込みを見ると、「こんなに人が居るのを西那須野で初めて見た。まるで都会じゃない!」「夜も遅いのに人が途切れない!」

など、興奮した内容がツイートされている。

 一般に新しく開店したお店は、当初物珍しさもあってびっくりするほどお客が殺到するが、一巡すると、スッと人が引くというようなビギナーズラックならぬ、オープニングラックがあるといわれている。オープンから3ヶ月ほど立つと閑古鳥が鳴く例が多いようだ。しかし、スタバは下の例のように固定ファンが多いことからそうでもなさそうだ。

 先ず、栃木県北部初めての店であること。自称「スタバ難民」がこれまで、遠く宇都宮まで通っていたことが解消されると喜んでいること。
 この地域の住民たちがスタバの進出を待ち焦がれていたこと。スタバが県北にという噂を聞き、それなら、「たいらや」隣地のアクロスプラザだよ。または大高前通りのドコモの新店舗の隣だと大田原市の住民は半ば断定的に期待してしたが、西那須野の話が固まって来て、裏切られて、がっかりした様子が地域2チャンネルの書き込みにあふれていた。
 また、今年矢板市商工会が、市内の3つの高校生徒を対象に欲しいお店のアンケートを取ったとき、上位に「カフェのスタバ」の投票が6割に及んだ。
 今回開店後、早速「なぜ西那須野に出来て、今市にないの?」と、うらやむ書き込みがあったりして、総じて若い世代からは大きな支持をスタバは受けているようだ。

 「どうして西那須野なの?」という疑問は、10年以上前にカルチャールーム付のシダックスが突如オープンした時にもあった。実は、西那須野地区は交通インフラの整備に力を注ぎ、もともと車で移動しやすい環境にあった。例えば、足利銀行西那須野支店はアクセス、駐車場の便利さもあって、来店客数が県内本支店で1、2に位置づけられているという。

 JR西那須野駅の、西口、東口ターミナルの整備も終わっている。東京都の小池知事が提唱している「無電柱化」。今回のスタバの面する国道4号線三島交差点から高柳運動公園までが整備され、更に、JR駅を基点に3つの県道、市道がすでにバリアフリー計画に沿って、無電柱化されている。その必要性を議論する人もいるが、県北地域でここまで集中的に整備された所はない。景観上は非常にすっきりして、都会的なイメージに近づいた。

 合わせて、K’s電器前の「太夫塚公園」には公民館施設と芝生公園が整備され、日中ゲートボールのお年寄り、休日にはヤングファミリーの遊ぶ姿が目立つ。また、中心市街地と呼ばれる街中の、スポーツジムとスーパー・トライアル他の複合商業施設「そすいスクエア アクアス」は、利用者が多く、日中駐車場がほぼ満杯となるほど活用されている。

 今回、これらの施設、環境整備に加えて、スタバの賑わい機能が加わったことに、地元住民として嬉しく思う。

₍追記:2017年5月20日)
  最近、午後、男女を問わない制服姿の高校生たちのグループがJR西那須野駅から北上する姿を見かけるようになった。駅からスタバまでは約1km、普通の足では15分ほどである。偶々、先ほど北上したグループが1時間ほど後に今度は駅に向かって戻る光景を見た。放課後、時間をつぶすにはちょうど良いのだろう。きれいに整備されたインターロッキングの歩道を、若者たちが歩く姿がほほえましい。

 50年ほど昔、我が高校生時代は、その頃、流行っていた「喫茶店」への立ち入りは、「不良」とみなされて、原則禁止であった。時代は変わったものである。(苦笑)

 

TBSラジオの久米宏番組

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今日、我が家族が、こともあろうに、久米宏さんのラジオ生番組に出演し。30分間ほど、ほぼ1対1で対談をした。
9年ほど前、おしゃれな白衣の会社「クラシコ」を高校時代の友達と立ち上げた。幸い、少しづつ仕事が増え、テレビ・映画でも、例えば、テレビドラマ「ガリレオ」で福山雅治が着用する、またドクターズシリーズでは沢村一樹、映画では草刈民代他が着用するなど知られるようになった。メディアでも、NHK国際放送で取り上げられることや、Yahooのトップニュースに4時間ほど掲載され、サイトが頻繁にダウンした、その後、朝テレでの放送、夕刊紙に全面で取り上げられたこともあった。
 しかし、今回、親馬鹿であるが、息子が著名な方の番組で、ご一緒させて貰うとは思わなかった。
番組の内容

 

 

究極の幸せ

息子の家族が我が家にやってきた。
かわいい孫たちとのつきあいが楽しい。今日は近くの温泉からお湯を汲んできて、我が家の湯船に満たし、小3と3歳の孫と一緒にお風呂へ。おばあちゃんにシャッターを押して貰う。なんと幸せなことか。
お風呂

若い頃には予期できないシニアになったときの「怠け病」

 この1、2年、個人的に何か前向きにやろうとする気持ちが起きない。
片付けなければいけないとわかっていることでさえ、手をつけるのが億劫である。
これは、シニア世代の「うつ病」の前兆かなと素人判断をするが、近くで見ている人間から、「そんなことないよ」と一笑に付されてしまう。
ネットで、自己診断のサイトを調べて、「うつ病」のチェック項目を確認してみるが、確かに思い当たる症状はほとんど無い。

それでも、かつては、雨天時を除いてほぼ毎朝、1日1時間弱、自転車のペダルをこいでいたが、いつのまにかやめてしまったし、歩いて3分ほどのフィットネスクラブに毎日通うが、利用するのはバスルームだけという現状。
間食はしない、3度の食事も殆ど最小限という量。しかし、お腹まわりは相撲取並に出てきて、親しい知り合いからは遠慮なく「腹出てきたね」の指摘が相次ぐ。
体力が落ちてくるのと同様に気力が衰えてきているのが現実だと思うが…。

先日、このサイトに書いたように、まだ普通に元気な頃DIYで作った自宅まわりの造作が経年変化で、メインテナンスの時期迎えている。
さて、どのように直そうかと、不具合のある場所を見上げて腕を組む。
実は、自分で考えて作ったもので、対策をどうするかは理解している。他方、他人事のように、「こんなもの良く作ったな、後で修繕することを考えなかったのかな?」という気持ちがある。

若くて元気一杯の頃、加齢した自分の変化を予期できなかった。
例えば、黒々とした髪の毛が将来変化することなど考えも及ばなかった。髪の毛が薄くなる、白髪になる。どちらかを含めて考えることもなかった。
老眼もショックだった。還暦過ぎまで、近眼、老眼ともになく、普段はめがね無しの生活を送ってきたが、数年前、突然、老眼の症状が入って来た。一番の障害は、スマートフォンの画面を裸眼で確認できないことである。
今後は、何時のときか耳が遠くなるのかなと半ば覚悟している。

現在、幸い、簡単な定期健診では大きな病気は無い。ある意味では、恵まれた身である。しかし前向きなやる気がでない、いわば「怠け病」が発症してしまったようだ。
毎日、夕方早い時刻から、少しずつ酒を飲み始め、まったりとした気分で、早く床に着く。幸せであると思う反面、少し物足りない自分を感じている(苦笑)。