断捨離では捨てられない鉱物用ルーペ

 人生の終活にはまだ早いかなと思い、身辺整理がなかなか進まない。それでも周りに溢れている物を、優先順位をみて処分、いわゆる「断捨離」には手をつけなけければという思いはある。とは言ってももなかなか捨てられない「思い出」の品。
 例えば、手元に、鉱物用ルーペが3っある。2つは神奈川光学製の10倍と20倍のルーペである。新入社員として入社した40年ほど前、会社の支給品であった色消しアクロマート。本体は金属性でしっかりしているものの、今は皮ケースが経年劣化してボロボロになり心もとない。それでも学生から大学院生時代、安価な色消し無しのルーペを使っていたのと比較してその性能の差に感激し、随分使い込んだ。
 暫くして、転職を繰り返した後、大学先輩の地質コンサルタント会社にお世話になったとき、カールツァイスのルーペを「これいいよ」と会社の社長である先輩から貰った。こちらは、レンズがガラス製であるのを除き、本体は安物そうなプラスティック製である。しかし、実際に使用してみてその見易さ(分解能)には驚いた。価格にして2万円近くの高級品である。

左側国産神奈川光学製、右はカールツァイス製

 年をとり、老眼鏡どころか、拡大ルーペのお世話になる機会が多くなった。これらのルーペも活躍できる舞台はそれなりに残っている。ただ、何種類ものルーペは必要がない。それでも、それぞれのルーペに思い入れがあり、どれを捨てようかという判断ができない。参っている。

肥後守

   極めてノスタルジックな内容である。「肥後守」と聞いて、刃物を思い浮かべるのは恐らく60才以上の方だと思う。

  かつて、50年前以上前の坊主頭の小学生の頃、「ナイフ」と呼んだ折り畳みナイフを得意げに使っていた。何の目的でもなく、ただポケットに入れていることが誇らしい。使うことといえば、近くの雑木林に行って、手の届く高さの枝をその刃物で切り、その後は、枝の皮をそぐような単純なことをしていた覚えがある。近年、昔は刃物を使って「竹とんぼ」を作っていましたよ。というシニアの昔話を聞くことがあるが、そんな高いレベルの話ではなかった。

 先日、ネットをサーフィンしていたら懐かしい刃物のサイト。つい衝動買いしてしまった。刃物の本場三木の 肥後守ナイフ、皮製のケースを含めてそれなりの価格であったが、その後、砥石で研ぎを加えたら素晴らしい切れ味である。しかし使い道をさがしてみたが、まわりにない。せいぜい、時々、鉛筆削りかな(笑)。
肥後守

私の声が聞こえますか

街中には両耳にイヤフォンの若者が溢れている。音源をCDよりもネットから直接ダウンロードするようになって久しい。小型の音楽機器、スマホの普及で音楽が気軽に持ち運べるようになった。

それに比べシニアの我が身は、日がな机のパソコンに向かい、昔々の「ミニコンポ」からBGMとしてFM放送を流している。いわば受身として惰性で音楽を聞いている。番組の構成上、クラシックが多い。

そんな時、先日、近くのホールで開かれる「昭和ノスタルジアコンサート」の案内が目についた。サブタイトルに曰く「ニッポンが輝いていたあの頃、誰もが口ずさんだあの歌。昭和ヒットパレード。」
演奏曲目は懐かしいものばかり。ほぼ全ての曲に覚えがある。いわば「昭和懐メロ」のオンパレードである。曲目をたどっていくと、それぞれの曲に思い出が重なる。若いあの頃の心のときめきの記憶が蘇る。「私にも感動し、ハイテンションになった時があったのだと...。」

音楽は若者を夢中にさせる。今も、昔も、若さには「感受性」が付き物で、音楽はその対象の最たるものであろう。そう言えば、オジサンも若い頃、初期のウォークマンを手にして、ダビングしたカセットテープを聞いていたものだ。

時代は遡って、我が学生時代、下宿で夜、音楽ラジオ番組「ヤマハ・コッキーポップ」を何よりの楽しみに聞いていた。このコッキーポップにはご存知のように、新人アーティストが新鮮な自作の楽曲を携えて登場した。もとまろの「サルビアの花」が有名だが、個人的には中島みゆきに注目していた。彼女は同じ札幌市内の隣の女子大に在学中、デビューしたことに加え、私より一つ年下とその当時、若い年齢にもかかわらず、「アザミ嬢のララバイ」、「時代」などの達観した歌詞と落ち着いたメロディを発表していた。
ラジオから流れる彼女の歌に夢中になり、その後LPレコードが出るのを心待ちにし、予約して買ったのが、中島みゆきの初めてのアルバム「私の声が聞こえますか」であった。

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 さて、子どもの頃は、豊かな感受性に加えて、記憶力も良いようだ。我が身についていえば、その頃のラジオ、テレビ番組のテーマソングだけでなく、場末の映画館で見た映画の石原裕次郎、小林旭が歌う主題歌、「からたち日記」の島倉千代子(笑)まで、いまでもその曲が流れると歌詞がほぼ口をついて出てくる。

学生時代もしかり、洋楽、日本のフォークソング、映画音楽と感激した多くの曲が記憶に残る。

社会人になって、忙しくなると、テレビ、ラジオの音楽番組を集中して視聴する機会が少なくなった。更に年齢と共に、耳にはさんだ曲がいいなと思うこともあまりなくなり、一二度、聞いだけでは頭にも残らない。

夢中になれる「若さ」。それに比べ、音楽だけでなく「ワクワク・ドキドキ」ときめく対象が少なくなってしまった今の年令が少し寂しい。

 
 

SHARP ザウルス サポート終了

シャープは、携帯情報端末「ザウルス」の顧客向けサポートを今月末で終える。電話による使用説明などの音声ガイドも終了する。

   数日前、ネットニュースで、上の記事が配信されていた。
  解説記事を読むと、平成5年に日本最初の携帯情報端末として誕生。ITバブルの時代をはさみ、平成20年の生産終了までに累計200万台が販売されたそうな。 

  当時勤務してた金融機関で東京本店から、地方支店に転勤辞令が出て、次の仕事が顧客へのルート営業だということが分かり、これからは手帳が手放せないな思った。その時近くの家電量販店で目に付いたのが、新発売直後のザウルスであった。 タッチペンでの入力、スケジュール、電話帳機能が付いている。メモリーに余裕のあるタイプを買ったので7万円近くの値段だったと思う。

  そのザウルスを持って、赴任。その後は、本当に重宝に使わせて貰った。まだガラケーもそれほど普及していなかった時代、乗り物での移動中も、台がなくともきれいに記入ができる。スケジュールの確認もスマートで、取引先に感心されたこともあった。

  その後、職場が変わって活躍する機会も少なくなった。数年前、久しぶりに取り出してみたら起動しない。半ば惜しさに、メーカーに修理見積を出したら、費用数万円というので諦めた。すでに携帯全盛の時代である。他の携帯機器で代替がきく。
今回の措置は、今巷で騒がれているSHARPの企業存続の問題とは直接関係無いと思う。だって生産終了後8年間もサポートを継続してきたのだから。文字通りお疲れ様である。

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おのぼりさんの隔世の感

今日は夕方から、昔の職場の新年会が開催される。午前中、自宅を出て上京。評判のスカイツリーの足元を初めて歩き、その後羽田空港に移動した。普段書斎で傍受しているのは航空無線のうちでも、上空を通過する航空路管制だが、今日は飛行場管制を直接聞いてやろうと思って、携帯用受信機を持ってきた。4階展望レストランの窓側に陣取り、耳にイヤホンをつけて遅い昼食をとった。
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スピードラーニング

 確かに、耳が慣れると、聞き取り易くなることを、昔、大変苦労した英会話学習時代を思い出しながらつづる。

英会話教材のスピードラーニングといえば、ゴルフプレイヤーの石川遼君のCMで有名である。
私がまだ若かった頃、鉱山会社に入社して、直ぐに海外出張があるというので、英会話の習得には苦労した。会社の終業後、英会話教室のグループレッスンに通わさせて貰った。富士宮にある「貿易大学校」の全寮制のコースに半年間、派遣して貰ったこともある。金融機関に転職した後は、自費で 近くの 英会話教室で マンツーマンのコースに通った。
 平行して、ヒヤリング能力を高めるために、ウオークマンタイプの携帯テープレコーダーで「起きてから寝るまで550」などのカセットテープ教材を通勤の電車の中で聞き続けた。
しかし、何度か受験したTOEIC でもなかなか得点が上がらなかった。

 前置きがいつものように、長くなってしまったが、前にも書いたように、最近、航空無線を始めた。当初は、無線機1台だけだったが、現在は 屋外のベランダに専用のアンテナを設置し、ケーブルを室内まで引き込み、信号分離器を使って2台の無線機につないでいる。1台は2つの信号を同時に受信できる機種。これはACARSという飛行機から発信される位置情報等を受信し、パソコンにつないで信号情報を解析して、あたかもレーダーの如く航路の軌跡を表示させるもの。もう1台は 管制官と航空機操縦士とのやりとりを音声で受信できるもの、パソコンの画面を眺めながら、並行して使っている。
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筆記具あれこれ

昔、昔 何十年も前は、少し大人になった証として、万年筆を身に着けた。高校生になった時の祝いに貰うことも多かったと思う。その後、ボールペンが普及してきた。日本製で言えば「オート」、フランスブランドの「bic]などもあったが、やはりちょっと「安っぽい」。改まったシチュエーションでは「万年筆」という雰囲気もあったと思う。今から遡ること37年前。社会人になったときに自腹で購入したのが画面左の万年筆である。軸が天然木で気に入った。確か3000円だったと思う。
さて、つい最近、消すことの出来るボールペン「フリクション」の品揃えとして3色、しかも軸に木製が発売された。衝動買いではなく、じっくり考えて買った。フリクションだとかつてのようにその後の修正を考慮した 鉛筆(シャープペンシル)-消しゴム という組み合わせはいらない。しかも黒色だけでなく、赤、青、更には蛍光ペンまでカバーしている。そんな便利な筆記具に「木製軸」という高級感に感激して買ってしまった。
 それでも、昔ながらの万年筆のスムーズな書き心地は捨てがたい。両者のメリットはそれぞれ意味がある。今日ののコメントは「古いものにも味がある。」である。034cf65da113ce234e6a415f890b46c0

負うた子に教えられ!

 もう30年前のことになる。当時、タイ国の沖合で天然ガスを開発生産する会社に出向していた頃、SHARP から PC-1500 という 「ポケットコンピューター」が発売された。本格的なプログラミング言語 Basic と レジ・レシート幅しかないが本格的な X-Y 4色カラープロッター搭載に魅せられて購入した。 d189444223e214e86ebef5b0aebeef4c それまでにも、大学院時代、社会人のはじめの頃、メインフレーム の大型コンピューターで Fortran をかじったことがあったが、個人的に使えるコンピューターを手に入れた興奮で、しばらくは プログラミングに没頭した。現にその時は、まだ出向先の会社にパソコンが導入されてなかったので、取引先への提出書類を個人のパソコンで代行作成したこともあった。

 その後、仕事では IBM5550 にはじまり Mac そして Windows互換PC と使ってきた。
 ソフトも、ホームページ作成には、「Frontpage」、「ホームページビルダー」、「Dreamweaver」を解説書片手に、苦労して覚えてきた。

   最近、今度は新しく「地域ブログポータル・いーべ!那須野が原」を立ち上げることになり、 「WordPress」 に触ることになった。さてWordPressはオープンソースであり、市販のテキスト以外にも ネット上 で多くの解説記事が読める。しかし全体の仕組みがわからず悪戦苦闘、困ってしまって 今は東京で ネット通販の会社をやっている息子にメールしたら、「今は うちの会社も WordPress でサイト作っているよ。しかし本格的な利用はお父さんには無理だよ。」とのご託宣。 上のPCを買った頃,社宅の部屋で動かしていると、当時よちよち歩きだった息子が寄って来て、「お父さん コンピューター コト、コト、コト。」とプリンター の動く音を口真似したものなのに。今では立場が逆になってしまって、「まるで 負うた子に教えられ。」の心境である。

   因みに、上の1982年製のポケットPCはプリンターこそ壊れてしまったものの、本体は健在。先日も技術セミナーで2進数→16進数変換などのプログラムを組んで便利に使った。もう30年も現役で動いていることになる。  

懐かしい Pentax 110 カメラ

7月末をもって、益子町のカメラ博物館(Pentax,現Hoya)が閉館という情報を得て、足を伸ばした。報道された新聞記事を聞きつけて、平日でも年配の客を中心に混雑していた。

5950fb2d4a791ee4f90279f9b9af19d7 中は狭いながらも、陳列品がきちんと整理されている。
 アメリカにおける写真技術のの発明、その後、明治の写真、日本で言えば大正から昭和前期にわたる ライカの技術が揃って並べられていた。
 戦後、ドイツ技術の模倣から始まり、その後の独自の発展があった日本の技術、実機のカメラ群を見るだけで、心に響くものがあった。
 特に我が身として、高校生時代にOlimpusのハーフ判一眼レフ、ペンFとFTを中古で手に入れて悦にいったこと。大学の調査、実習時代にはやはり天下の憧れのNIKON でも、お金もないので、格下のNikomartを購入した。その世代として、展示品には懐かしさをこらえ切れなかった。

 さて、Pentaxの博物館である、自社製品は全て展示してある。その中の110 一眼レフをみて、思い出が募った。 展示品のラベルをみると発売が昭和54年である。そうそう、この年に小生は米国出張につれていって貰える事になった。石炭会社の我が勤務先と財閥関連の商社が、日本に先駆けて、アメリカ石炭生産地の本格的調査を行う。私の上司をキーパーソンとして出かけるになった。若き小生がその鞄持ちに指名された。役不足だが、嬉しいこと限りない。いろいろ考えたが、帰国後、報告書も必要であろうと、自分なりに理由をつけて、海外出張支度金を当てにして、その直前に出たばかりのPentax110一眼レフカメラセットを買うことで、家族を説得した。
 一流メーカーのPentaxがレンズ交換できるカメラを発売したと知って、大きな期待で、買った。試写せず直ちに、3週間に及ぶ、アラスカを含めて、南はメキシコ国境のリオグランデまで米国全土の調査について回った。
 実はそのときのカメラセットが、博物館に展示されたいた。ネット検索すると当時のセット価格が75000円位である。若いサラリーマンの出費としては小さくなかった。しかし帰国後、撮り重ねてきた写真を現像、プリントアウトしてみて納得がいかない。カメラの技術は良いかもしれないが、110サイズのフィルムは35mmのフルサイズに比較して、解像度など家庭用仕様で甘かったようだ。
 帰国後、会社の先輩を通じて、彼のオーストラリア人の友人にほぼ元値で売却した。「良いカメラだが、Scientific(科学)の写真には向かない」とか何とか理由をつけて、交渉してくれたようだ。その後、直ぐに、35mmフルサイズ、同じく新製品で出たばかりのOlimpus MAのコンパクトカメラを買った。これは公私ともども、10年くらい使いこなし、大変お世話になった。