七帝柔道記

「ビックコミック」、高校2年生の時創刊され、それ以降50年近く、間断があるが、本誌とその派生誌を愛読してきた。今回「ビックコミックオリジナル」誌最新号のページを見て、昔の記憶がよみがえり、感傷的になってしまったので投稿します。

この七帝柔道記の原作者の方と小生は大学の卒業でみれば15年ほどの差があるようであるが、劇画と小生の実体験は大差ない。正直読んでいて「涙うるうる」の世界である。
具体的には、大学の校舎について、劇画と写真の画像を比較されたい。

尚、連載の七帝柔道記(ビックコミックオリジナルのタイトルにふられているルビについて、細かい指摘をすれば、小生の在学時は「ななてい」でなく、「しちてい」と呼んでいたように思う。)また近年は「七大戦」と名称が変更になったようだ。

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理学部本館(現在は総合博物館に名称が変更されたようだ)の前で記念撮影をした1969年入学(1971年学部移行)の同じ学科専攻の若々しいクラスメート達。
集団写真の画面右上には、上の劇画に描かれた建物のレンガ造りの壁面が写っている。
 

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爽やかな札幌再訪!

 個人的な用事ができて、急遽北海道に行くことになった。トンボ帰りで日帰りするつもりであったが、千歳空港での帰途便が満席。結果的に空席待ちを3時間したが最終便まで駄目、仕方なく札幌に移動してビジネスホテルに宿泊。

 翌日、福島空港までの便まで時間に余裕があるので、かつて学生時代、また社会人の一時期を過ごした札幌の町を再訪することとした。
 とりあえず、大通り公園まで行き、そこから時計台へ。両方とも、朝まだ比較的早い時間にも拘わらず、観光客とおぼしきカメラを手にする人たちで一杯であった。

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  午前中だが、既に日差しは高く、暑い、しかし本州に比較すると、爽やかである。湿度が低いのであろう。特に木陰などの日陰に入るとホッとするほどである。かつてこのブログでも書いた40年前初めて訪れたときの印象と全く同じである。

 その後、ぶらぶらと大学のキャンパスへ。
 時がたち、還暦を前にした想い出旅行。中央ローン(芝生)は中に植えられているハルニレ、ヤナギの樹々が大きく育ち、芝生というよりは林であった。
 一番びっくりしたのは理学部ローン。昔、夕方、安い羊の肉を大量に買い込んで。ジンギスカンバーベキューをやった場所。その当時は。必ずしも合法的には認められたいなかった。照明が少ないために、車を持ち込んでヘッドライトを頼りに楽しいパーティをしたが,その途中理学部の守衛からその時のバーベキューの責任者になる教官である我が恩師が、苦情を言われて頭を下げた記憶がある。
 今はリクレーションエリアとして公認され、後片付けのルールがあるのには隔世の感がある。
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かつての長距離電話事情

この春、末の男の子が巣立ちして独り身の生活を始めた。食事はともかく、洗濯など細かいことを携帯電話から母親に尋ねて来る。正確に表現を戻せばまだ「巣立ち」する過程であるのだが、我が身の昔に比べてなんと羨ましいことかと思った次第。

 北海道の遠隔地で学生生活を始めたものの、正直まだ親が恋しい。とかいって、親元への連絡は公衆電話経由。1分間の通話代が幾らかだったかは記憶に無いが、10円玉を事前に沢山用意しておいても、恐ろしい速さで硬貨が公衆電話の投入口に飲み込まれていく。仕送りが乏しい身では、頻繁に電話も掛けられない。
 そのうち、同じ立場の学生に、タダ同然で長距離電話がつながる裏ワザが伝わる。当時 喫茶店などに当たり前にあったピンク電話の「ダイアル」(プッシュフォーンではなかった)を最初の市外局番「0」を回した後に一番下から指で蹴り上げると「プーン」という反応音が出る。その後は相手につながると話し放題になるというものであった。確かにそうなることは小生も体験している。しかし、その電話代は最終的にピンク公衆電話を置いている所の負担になるから、犯罪行為である。またピンク電話は主に喫茶店、飲食店などに設置してあったが、従業員の目につく所では難しい。電話ボックスが別にあるようなところが「狙いどころ」であった。そういう所は少ない。またそこの電話はしょっちゅう被害にあっているためか、電話のダイアルのねじがゆるゆるであった。
 また極く短い期間であったが、大学紛争(闘争)で封鎖された校舎の教官室の電話を使って、親元に長距離電話を無料でかけることもあったと聞いている。これは、大学の事務局が把握したとたん電電公社に連絡して不可能になった。
 
 このように、電話は過去にはお金がかかるものであった。そうそうその後、海外のプロジェクトで働いていた頃、日本の家族に掛ける国際電話料金の高さにへきへきしたものであった。

 今はIP電話、インターネット電話を使うと、国内外を問わず料金が殆どかからない。この辺の技術の進歩は良く考えるとびっくりするほどである。

 

カニ族の夏

アイヌ衣装

美幌峠の観光売店で貸衣装を着て記念撮影

 「カニ族」という言葉を聞いて、ピンと来るのは、現在65才前後の年齢で。尚、北海道への貧乏旅行に憧れた人たちであろう。とにかく、空前の旅行ブームだった。
 ブームの数年前、森繁久弥-加藤登紀子の「知床旅情」のヒットから始まった。

 大学生を中心とした若い世代が、横長のリュックに荷物を入れ旅行する。海外では昔も現在も、若者による「バックパッカー」と呼ばれるヒッチハイカーがーロッパを始め、世界中を旅行している。そのミニ版で、日本では大きなリュックに荷物を詰め移動する。
   駅の改札口、車両の通路では、通過する時に邪魔になり、都合、横ばいになる。その姿を見て、カニの様だと、当時「カニ族」と呼ばれた。その集団が夏の北海道に満ち溢れていた。

 大学1年目の夏。4月10日の入学式が大学紛争(闘争?)のため無くなり、それ以降、校舎はバリケードで封鎖されているため講義はない。毎日、手持ち無沙汰に再開を待っていた。そのうち、夏になり、平時でいえば、夏休みのタイミングである。憧れで来た、北海道を巡ってみようと思った。実家に連絡して、高校時代3年間乗った3段ギアのスポーツ自転車を、ドロップハンドルに換装したものを送って貰い、貧乏旅行に出かけることにした。野宿をすることを前提に、寝袋を積んで、札幌の下宿を後にした。
 それから、1週間ほどをかけて、ペダルを踏みながら北海道北東部を巡った。
 
 初日は、層雲峡近くまで200kmほどを走り、国道沿いの星の下の草地に野宿。次の日は美幌の小学校で自転車小屋の屋根の下で泊まろうか、隣の官舎に断りを入れたら、校長先生が、うちに泊まりなさいといってくれて、その晩は先生宅の布団の中でお世話になった。

 あとは飛び込みでその頃ブームであった「ユースホステル」を訪ね、空きがあれば宿泊する。勿論、「知床旅情」の本場、斜里町のユースホテルにも宿泊し、夕食後のミーティングでは皆で「知床旅情」を熱唱し、ブームの”聖地”を満喫した(苦笑)。

摩周湖にも自転車を押して登った。帰り道、土砂降りとなり、自転車のブレーキがスリップして効かない。仕方がないので、自転車の車軸にたまたま持っていた紐を巻きつけ、摩擦を増やしてどうにか麓まで戻って安堵したこともあった。

 道東の白糠へ阿寒湖からマリモ街道を下がり、夕食を求めて入った食堂は、7月というのに、暖房のためにストーブをたいている。そこでも夜はすすめに従い有難く泊めていただいた。

 さて、圧巻は7月21日、帯広のユースホステル「平原荘」での出来事。宿泊者皆で観たのは「アポロ11号月面着陸」。日本での実況中継を、拍手で喜んだことが思い出に残る。

初めての北海道

この週末、近くの郊外型百貨店が開店5周年のイベントで北海道物産展を開いている。お陰で駐車場は満車どころか通路に車の列ができており、120%の混雑率、周辺の道路も路上駐車など車が多い。北海道の味覚はどこでも評判、今日の目玉は事件を起こした「Sい恋人たち」ではない製菓会社の「かりんとうチョコレート」であった。列が伸び、30分ほどで完売になった。

 食べ物だけでなく、北海道には景色など人気あるものが沢山ある。その北海道に憧れて、通算10年間生活した。我が生涯50年余のうち結局1/5ほど、暮らしたことになる。前置きが長くなった。

 初めて、北海道の地を踏んだのは、高校3年生の夏休みのことである。その頃はまだ、オープンキャンパスなどという制度は無かった。旺文社の受験雑誌「蛍雪時代」に大学毎に、見学受け入れの方法を載せていた。大学の事務局が直接窓口になるとか、どこか大学のサークルが見学案内をするとか、いろいろであった。札幌の大学については、雑誌に「窓口 恵迪寮」の連絡先が出ていて、往復ハガキで予約すれば良いとある。その通りハガキを出して宿泊予約して1週間の後に出発した。 確か最寄の駅から札幌往復の国鉄(現JR)の学割乗車券が3200円くらいであったと思う。後は東北本線の夜行急行列車で青森まで。更に青函連絡船を乗り継いで函館に上陸。途中、大沼公園に途中下車して、夕方札幌に着いた。
 駅から歩いてたどり着いた恵迪寮は学生による自治寮。玄関受付の当番の寮生に予約ハガキを見せて案内を乞う。私の坊主頭を見て、現役の高校生と察したらしく戸惑いが顔に浮かぶ。「政治的な活動も寮内にあるから、高校生は泊めないきまりになっている。しかし宿がなくては困るだろうから、浪人生ということにしてくれ。」ということで折り合いがついた。

当時の恵迪寮

 翌日からこの寮を起点に、札幌見物。先ずは大学構内のポプラ並木から。また歩いてもさほど遠くない大通り公園へ。夏の盛りであるが、北国の爽やかな気候にびっくりした。日差しは暑いが、街路樹の陰に入るとひんやりする。何より空気が乾いている。本州の夏のじめじめした暑さが当たり前と思っていた身には驚きであった。大通り公園の噴水の前では「サッポロビール」のTVコマーシャルを撮影中であった。若い男がジョッキのビールを飲むシーンを何度も取り直していたが、顔に汗のかわりに霧吹きで水滴をつける。汗をかくほど暑くないじゃないかと、そのシーンメーキングを不思議に思ったが、こんな所で学生生活を送ってみたいと、その後の受験勉強に励みになったことは確かである。